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2022.04.27
暮らしに寄り添う街で、未来の暮らしをデザインする
2018年4月、大阪と滋賀に分散していたパナソニックの家電担当のデザイナーたちが京都に集結、「Panasonic Design Kyoto」として始動した。2022年現在では家電部門にとどまらず、本部機能を集約するなどパナソニックのデザインヘッドクオーターとしてその存在感を増している。そもそも京都にデザインの拠点を置いた理由は「日本の文化発信都市であり、世界に向けて日本ブランドを発信できること。また、老舗企業が多いことからモノづくりの哲学が存在する」(パナソニック)ためだという。1951年、当時日本ではあまり無かった企業内デザイン部門を立ち上げた先駆けでもあるパナソニック。京都を拠点にデザインを発信することの意味を、Panasonic Design Kyotoのアドバイザーである西堀晋さんと同社のデザイナーである中川仁さん、内山咲子さんに語り合ってもらった。
プロフィール
中川 仁(なかがわ・ひとし)
デザイン本部FLUXリーダー。京都工芸繊維大学大学院修了後、1999年に松下電器産業(現パナソニック)入社。B2B事業の戦略構築、企画提案などシステムデザインを経て、2001年よりAV機器を中心としたプロダクトデザインを担当。京都の伝統産業の担い手と共に新たな価値を創造する「Kyoto KADEN Lab.」プロジェクトでは京都の手作り茶筒の老舗「開化堂」と共創したスピーカー「響筒」を商品化。現在は2020年に発足したFLUX(Future Life UX)のリーダーとして未来構想や横断デザイン業務を牽引する。
内山 咲子(うちやま・さきこ)
くらしアプライアンス社デザインセンター所属。多摩美術大学卒業後、2019年パナソニックに入社。「くらしアプライアンス」の事業領域でプロダクトデザインを担当。30~40代の共働き層をターゲットとした、アプリ連携可能なIH炊飯器「マイスペックシリーズ ライス&クッカー SR-UNX101」は2021年度グッドデザイン賞ベスト100に選定。
西堀 晋(にしぼり・しん)
Shin Products LLC 代表。Panasonic Design Kyotoのアドバイザーを務める。1989年武蔵野美術大学卒業後、1989年に松下電器産業(現パナソニック)に入社し、インハウスデザイナーとして9年間在籍。フリーランスデザイナーとして独立し、京都でカフェefishを主宰。その後、渡米し日本人唯一のApple Inc.のインダストリアルデザイナーとして10年間在籍。USにてShin Products LLCを立ち上げ、現在はハワイ在住。
京都のモノづくりは「愛」が溢れているから
デザインの本質に立ち戻ることができる
―3人は「Panasonic Design Kyoto」に関わっているデザイナーですが、それぞれの仕事内容について具体的に教えてください。
中川さん
デザイン本部で生活者起点から未来構想を考える「FLUX」のチームリーダーを務めています。今は直接プロダクトデザインには関わっていません。今後、パナソニックはどうあるべきか、生活者からヒアリング等で気づきを得るなどし、仮説を立てて提案しています。出身は奈良ですが、学生時代は京都で過ごし、新卒入社してから20年ほどデザイナーをしています。
内山さん
新卒入社して3年です。国内向けでは炊飯器、海外向けではブレンダーなどの調理小物をデザインしています。大学まで神奈川で、入社後は最初からこの京都のオフィスで仕事をしています。
西堀さん
僕は社員としてではなく、4年半前からアドバイザーという形で入っています。元々はお二人と同じように新卒でこの会社に入社し、エアコンのデザインから入り、オーディオをやり、9年で退社。その後、米・シリコンバレーでAppleのインダストリアルデザイナーとして10年在籍し、今はハワイに住みながらデザインをしています。Panasonic Design Kyotoでは直接デザインはせず、新しいプロジェクトのときは話し合いから参加したり、試作品に対してのアドバイスをしたりしています。
内山さん
グッドデザイン賞のベスト100に選定された炊飯器についても、アドバイザーとして西堀さんに関わっていただきました。最近始めたプロジェクトでは、リサーチのために西堀さんと一緒に京都の街を歩くこともあります。
―デザインのために京都の街歩きをされるのですか。西堀さんは、京都の人に愛されたカフェ「efish」のオーナーをされていましたから、豪華な街歩きになりそうですね。
西堀さん
長年、efishというお店をやっていたことで、街や人のネットワークができました。デザインするアイテムに合わせ、そのアイテムを皆がどう使っているのかを探しに行くんです。デスクワークだといきなり形を考えてしまうけど、デザインを考える初期段階では楽しみながらインプットすることが大切。僕が在籍していた頃の松下電器産業は、ずっと職場に張り付いていなくてはいけなかったけど、今はふらりと外に出られるからいいね。デザイナーには、特に自由が必要ですから。
中川さん
会社の中に籠ってデザインしていると、一方向にしかモノが見えなかったり視野が狭くなったりしがち。外に出て直接見たり客観的な意見を聞いたりすると、自分の考えを練り合わすことができ、気づきを得られることが多いんです。
―デザインをする上で、京都という街からインスピレーションを受けることはありますか。
内山さん
すごくありますね。私の場合、入社後の研修として、西陣織や朝日焼の手仕事を見せてもらい、職人の方々から直接話を聞かせてもらいました。皆さん、プライドや愛情を持って、自分の仕事に責任を持って取り組まれている。その真摯な姿勢から多くのことを学ばせてもらいました。そうした機会が京都にはたくさんある。今の私のモノづくりの考え方にも大きく影響しています。
西堀さん
四条新町という、京都の中心地にあることも大きいよね。ふらりと京都の街に出られるしね。
内山さん
京都は一歩踏み込むと人々の暮らしが息づいていて、都市の中にそれが自然と溢れている街です。パナソニックは、人の暮らしをデザインしてきた企業ですから、暮らしに寄り添った京都という街にいられることはすごく刺激的なんです。
中川さん
京都で面白いのは、「日常」と「非日常」がすごく近くにあることです。京都は、外に一歩出たら暮らしに密着した「日常」があり、一方で、ラグジュアリーでホスピタリティの高い「非日常」もある。この空間を行ったり来たりしながら暮らしやホスピタリティに触れていると、自分も人に対して「こうしてあげたい」という気持ちが自然と湧き上がってくる。僕は、デザインは「愛情」だと思っています。会社の中では「こうしなきゃ」としがらみにとらわれてしまうことも、京都の街に出ると「やっぱりこうしてあげたいよね」という考え方に戻る。京都にいることで、デザインで最も本質的なことを学ばせてもらっている気がします。
西堀さん
内山さんは入社してまだ3年なのに、担当した炊飯器がグッドデザイン賞ベスト100にも選ばれた。デザイナーの置かれている環境の変化がもたらす影響を少なからず感じるね。
内山さん
私が担当した炊飯器にしてもこれまではフルスペックの機能を詰め込んだモノに価値が置かれていました。でも、私はもっと一人ひとりに寄り添うことで価値を高める炊飯器を作りたかったんです。その発想は京都で暮らしに寄り添う人たちの姿を見てきたから気付かされたことで、オフィスの中にいただけではこうした発想は生まれなかったと感じています。
長く受け継がれる伝統工芸から学ぶことは多い
古いモノの良さを知らなければ、新しいモノは作れない
―中川さんは手作り茶筒の老舗「開化堂」さんと共創し、茶筒をそのまま生かしたスピーカー「響筒」として商品化、工芸と家電を融合しました。
中川さん
プロジェクトを始めた2015年当時、僕はプロダクトデザイナーとしてオーディオの担当をしていました。音楽は何で聴くのか?耳で聴くだけのものか?もっと自由な音の愉しみ方があるのでは?と自問自答し、最終的に「手のひらで感じる音もあるはずだ」と発想を変え、茶筒を手のひらに持ったときの振動も含め、”五感で音を感じる”スピーカーにしました。
―先端的なプロダクトを手掛けるパナソニックさんにとって、伝統を省みることにどのような意味があったのでしょうか。
中川さん
創業者の松下幸之助は「伝統工芸は日本のものづくりの原点である」という言葉を残しています。伝統工芸と言うと、「過去」と向き合うことだと思われがちなんですが、「未来」に向き合うことでもあると思うんです。開化堂さんでいえば、茶筒で140年以上。今も多くの人に愛されて、実際に売れている。パナソニックも100年先に何を残せるのか、未来へのヒントがあると思うんですよね。
西堀さん
ジョブズもアンティークものが好きでした。目利きの人は、古いものに対しても目を向けている。そのためには、進化だけではなく退化しないことも大切。京都という場所は、そうしたものに愛情をもっているよね。
―伝統工芸の業界と共創することで、どのような発見がありましたか。
中川さん
開化堂の六代目である八木隆裕さんや職人の方々と話すと、彼らは自分たちがやっている仕事を代々引き継いで後世に残していくんだという想いがすごく強い。
―京都は「小商いの街」とも言われますし、作り手自身がお商売の責任者であるケースも多いですよね。
中川さん
社内の一デザイナーである僕たちは、彼らに「パナソニックとしてはどうしたいのか?」と問われたときに即答できなかったんですよ。自分で考え、自分で発明して、自分なりの考えを導き出すことの大切さに気付かされたんです。そして、彼らが長期的な視野を持って、ものをつくる価値観にも刺激をもらいました。
―デザイナーとしてあるべき姿を伝統工芸の方々から学ばれたのですね。
中川さん
茶筒やお櫃のような日常に溶け込む日用品の工芸は、毎日、向き合うものですよね。実際に日用品を使いながら考えていかないと、多くの人に長く使ってもらえるものにならない。家電もいかに暮らしの中に溶け込んで作っていくかという点でも多くの気づきがありました。
西堀さん
あるときに思いを込めて作ったものが、時代を超えても当時のかっこよさや可愛さを感じるから残っていく。長く生き続けるものにはそれだけの理由があることを、現代のデザイナーも持っていないといけない大切なマインドだよね。今も残る工芸品は、機能としてはシンプルな分、素材も適したものを使う必要がある。つまり、「嘘」がない。開化堂さんの茶筒もそう。現代のプロダクトには、様々なしがらみのなかで、デザイナー自身が「嘘」をついてしまうことがあるから。
中川さん
そうですね。使い手のことを思いながらデザインしていたのに、気がついたら量販店の売り場の状況や社内で通りやすい方向を考えてしまう。でも、京都に拠点があると、デザインとしての本質的なあり方を見つめ直す機会を得られます。
西堀さん
デザイナーはアーティストと違って、常に使い手のことを考えなくてはならない。使い手に対し、どう誠実に向き合えるか。使い手に「嘘」をつかずにデザインができるか。京都は伝統工芸をはじめ、作り手が思いを込めているモノが多いから、この地でデザイナーが感じることはすごく大きいと思う。
―今は飛躍的なイノベーションを求められる時代でもあります。京都に集結したデザイナーのみなさんは、どのようなトライを描いていますか。
内山さん
家電に関していえば、新しいものが出たら製品を買い替えていく流れがありますよね。でも、私は使い捨ての家電ではなく、大切に使ってもらえる道具を作りたい。家電業界ではIoTが定着しつつありますが、長く使ってもらうために、ハードはそのままに、ソフトウェアを更新していくのもひとつの手かなと考えています。
中川さん
開化堂さんの茶筒は100年以上、直して使い続けられる。だけど、家電となるとそうはいかない。開化堂さんと開発した「響筒」の保証も、本当は100年保証にしたかったんです(笑)。けれど、スピーカーのパーツは経年劣化するしBluetoothのバージョンも変わっていく。茶筒と同じように使い続けられないことに罪悪感が残ってしまいました。
西堀さん
たしかに、長く使い続けてもらうために企業が何らかの手厚いサポートをするなど、企業理念が伝わるようなものがあるとお客さんも付いてきてくれるよね。
中川さん
伝統工芸の作り手も、伝統を未来へと受け継ぐために、絶対に変えてはいけないところと、変えなきゃいけないことを見極めながらやっています。世の中は変わってきていて、必要以上のモノはいらない時代になってきている。作って売るだけではなく、売った後にも長く使い続けてもらえるように、どんな工夫ができるか。どのようなモノづくりが未来につながるのか、根本的に見直していきたいですね。
晴れた日に鴨川でサンドイッチを頬張るような、
ほかの都市に勝てない幸せが京都にはある
―西堀さんは、今はハワイにお住まいで、米・シリコンバレーや東京での生活体験もある。京都が持つポテンシャルはどこにあると思いますか。
西堀さん
これまで京都、岐阜、東京、サンフランシスコ、ハワイに住んだけど、京都で一番好きなのはこぢんまりしているところ。自転車で回れるコンパクトさがいい。実はパナソニックで自転車通勤をOKするように声を挙げているんです(笑)。自転車のスピード感や移動距離なら、小さな個人のお店にもふらりと立ち寄れて発見も多いし、この街の良さを最大限に味わえるはず。解像度を上げて、この街からインプットを得られると思うからね。
中川さん
京都は中心部にすべてが凝縮されていますよね。学生から年配の人まで幅広い人がいて、様々なバックグラウンドを持つ人がぎゅっと詰まっている。だから、出会いのきっかけも多い。
内山さん
関東から来て思うのは、京都は一人ひとりを大切にしてくれる。お店でも顔を覚えてくれて、いつものとは違うメニューを頼むと「今日は違うのね」と会話が生まれる。来てくれるお客さんに対し、美味しいものを食べさせてあげたいというお店の愛情をすごく感じるんです。もちろん東京や大阪でもあることなのだけど、京都は小さな街なので、そうした「思い」に出会いやすいと感じています。コミュニケーションが生まれる街だな、と。
中川さん
僕も京都で過ごした学生時代はいい思い出ばかり。生活することも、バイトも、街歩きも、何もかもが楽しかった。小さな街だから、大人と知り合う機会が多くて関係が広がるのも楽しかった。大阪や東京にも住みましたけど、やっぱり京都がものすごく楽しい。
西堀さん
京都は戦争や地震でも大きな被害を受けていない分、昔からの色々なものが残されている街なんだよね。あと、京都の人って閉鎖的やイケズと言われるけど、来てみたらあまり感じないでしょう?
内山さん
感じたことがないです。
西堀さん
そうでしょう。ありがちなのは、京都だからと身構えてよく見せようとしてしまうこと。そうすると京都の人も構えてしまう。だけど、オープンに接していたら京都の人もそんな風に接しない。僕も国内外あちこちに住んで、それぞれに良さを感じるけれど、最後は京都に戻りたいと思う。鴨川の存在も大きいよね。天気がいい日に鴨川沿いを自転車で走って、近くのお店で買ってきたサンドイッチを川べりで食べていると、ああ、なんて幸せなんだろうと。
中川さん
すごく分かります。鴨川も場所によって表情を変えるし、いる人も変わる。僕も家族で近くに行くと、必ず鴨川の川べりを歩きます。
西堀さん
単純に、京都って楽しい街で愛すべき街なんだよね。デザインも楽しいものだから、この街で楽しんでいれば、仕上がるものも変わってくる。
―西堀さんも伝説的なカフェを作り、京都の愛される場所を作ってこられました。京都の街で、愛される秘訣はなんでしょうか。
西堀さん
僕のカフェは素人が手を出したものだけど、長くお店が続いたのは「京都が好き」という思いが自分にもお客さんにもあったからだと思う。デザインの仕事もそうですよね。デザイナーは相手があってこそ成り立つもの。使い手に対し、思いを込めてどういうものを作るか。京都のことを好きな人が、京都の街を作ることが大切。単に「資本」として考えている人が作ったら、外観は似せても「嘘」の京都になってしまう。その感覚を養いながらやっていくと新しい発見も出てくるはずだし、多くの人から共感を得られるんじゃないかな。
社内の異分野のメンバーも、採用も
自然と人が集まりたくなる街の魅力
―パナソニックでは150人近いデザイナーが京都に集結しています。改めて、大企業が京都に構えるメリットは何だと思いますか。
中川さん
京都にオフィスを構えてから、デザイン部門以外の設計や企画のメンバーたちがよく顔を出してくれるんです。打ち合わせをした後、京都ならみんなで飲みに行きたいね、と(笑)。とにかく人が集まりたくなる街。ここで一緒に何かを考えて、夜ご飯を食べに行って、他愛もない話をすると、そこから色々と刺激を受けて考えも広がっていく。京都に拠点がある最大のメリットは人が集まることかも。
西堀さん
来る人と出迎える人が互いに京都で刺激を受け、その相乗効果で表現するものも変わっていく。難しいことではなくて、京都にいるだけで自然に入ってくることってたくさんあるよね。
中川さん
パナソニックは、音響機器などを扱う“黒物”のデザイナーは大阪の門真、冷蔵庫やエアコンなどの“白物”のデザイナーは滋賀の草津に分かれて配置されていました。異分野のデザイナーが京都に集まり、音響をやっている人のすぐ隣に、調理小物を担当する人もいる。今の生活者はヘッドフォンをしながら家事をする人もいるわけですから、広い目線でデザインを考えるようにもなりましたね。
西堀さん
僕がいた時代とは全く違うよね。あの頃はデザイナーと言っても作業服を着て、工場でデザインをしていたんだから(笑)。Appleのデザイン室には、朝からハウスがガンガン流れていたんだけど、やっぱりデザイナーは、かっこいいオフィスでデザインしてほしいね。
中川さん
京都じゃなかったら、もしかしたら内山さんもパナソニックに来てなかったかもしれないよね。その意味では、採用でも人を集めていると思います。
内山さん
たしかに(笑)。京都で働けると聞いて、正直、ワクワクしました!
西堀さん
ビジネスだけで見たら、正直、京都より東京のほうが回っていく。でも、京都の街が持つ魅力や、住んでいる人たちの愛がこの街にはいっぱいあって。ただ働くだけではなく、鴨川でゆっくりできる幸せとか、人として生きる楽しさと仕事のバランスが取れている街なんだよね。東京で夜まで一生懸命働いて、疲れ切った状態で夜遅くまで飲みに行って、翌日また仕事。この繰り返しになると、どこかで体のリズムが合わなくなる人もいる。もちろん東京のスピードの中で動ける人もいっぱいいて、それが合う人もいる。人によって合うスピードがあるけれど、京都に来たいと思う人はこの感覚が合う人かな、と思いますね。
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