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2022.10.21

Pieces of Japan株式会社京都から海外へ、デジタルとデザインの力で日本の伝統産業を救いたい。

「日本のかけら」を表すPieces of Japanは、伝統工芸に特化したライフスタイルブランドの会社です。小山ティナさんが、産業の衰退や後継者不足が深刻な伝統工芸の世界において、問題解決のために起業したのは2020年のこと。デジタルとデザインの力、海外マーケットへのルートを強みに、京都で活路を切り拓く小山さんにお話を伺いました。

プロフィール

小山ティナ
Pieces of Japan共同設立者・CEO スイス生まれ。美術大学を卒業後、東京で広告制作会社勤務などを経て、米シリコンバレーのツイッター本社でデザイナーとして働く。2020年4月、京都でPieces of Japan株式会社を塚本はなさんと共同設立。ライフスタイルブランドPOJ Studioを立ち上げ、伝統工芸のオリジナル商品を職人らと共同で開発し、自社サイトを通じて海外向けに販売している。2022年8月、京町家をリノベーションしたホテルブランドMaana Homesの新施設で、初の実店舗をオープン。


伝統工芸の職人と開発した商品が海外で大ヒット

京都のオフィス街である烏丸五条に程近い場所にあるPieces of Japan株式会社のオフィスは、京町家のシックな佇まいに、凜とした雰囲気が漂います。小山さんが伝統工芸のオリジナルブランドとして職人さんたちと商品開発から手がけ、海外向けにネット販売する会社を立ち上げて2022年で3年目となります。

京町家を改装したオフィスにはストックされた商品が収納されている。

顧客はアメリカを中心とした英語圏全般。すべての商品を欧米の生活者目線で、海外向けに開発しています。POJ Studioとして1年目に開発したのは「金継ぎキット」。これは、京都市下京区にある堤浅吉漆商店との関わりで生まれた商品です。奇しくもコロナ禍で、動画で学びながら欠けた部分を本漆でつないで修復できるこのDIY商品が大ヒット。修復に着目したのは、「物を売るだけでは持続可能な世界につながらない。修復をビジネスにして、壊れても直して使える方法をお客さんとコミュニケーションしたい」という理由から。だから、「金継ぎには可能性があると感じています」と。

堤浅吉漆商店との関わりで生まれた「金継ぎキット」(自社サイトにて)

また、SNSなどでニーズをリサーチするなか、偶然ヒット商品が生まれることもあります。その一つが禅宗の修行僧が使う、サイズ違いの器を入れ子状に重ねた応量器です。もともと応量器は、小山さんのお母様が持っておられ、馴染みがありました。その後ご自身の元にもお母様からのお誕生日プレゼントとして、応量器が届きました。それをSNSで紹介したところ、興味を示す人が続出。そこで石川県在住の職人さんと商品開発をした結果、応量器をマットな素材感に仕立てたものがよく売れて大好評になったのです。現在は、新たに雇われたお弟子さんがこの商品を作っておられるとのこと。衰退する伝統産業界に新たな雇用を生み出している証となっていきました。

SNSでニーズをつかみ、商品化して大ヒットした「応量器」(自社サイトにて)

POJ Studioは、現在、社員7人。新商品を毎月リリースしています。2022年8月には、京都市内に初となる店舗をオープンし、金継ぎ専門部署の立ち上げも進んでいます。このスピード感について、小山さんはこう話します。「稼ぎながら拡大に投資しています。多くの伝統産業の職人さんを支えるには私の会社が大きくならないと。正直、余裕はないです。だからヒヤヒヤしています」。それでも、「京都にいると見守られている感じがあるんです。それは、京都が家族との縁も深い街であるからかもしれません。母が京都市出身、両親の出会いも京都、夫の実家もここ京都にある。伝統工芸においては、帯を織る仕事をしていた、祖母からつながっていたんです」と語る小山さん。伝統工芸と家族の歩みが、世代を超えて京都の地で結びついてきたのです。

京町家オフィスの静かな環境でのびのび働いているスタッフ

デジタル✕デザイン✕伝統工芸を掛け合わせて
そもそも小山さんがどうしてこのようなビジネスを起業するに至ったのか。不思議に思い生い立ちを伺ってみました。お父様がスイス人で建築家、お母様が京都生まれの日本人で伝統工芸品のバイヤー。スイスで生まれ育った小山さんは、伝統工芸に幼い頃から親しみがあったとのこと。子どもに伝統文化を大切に伝えたいというお母様の思いのもと、食事は和食、食器や道具も和にこだわり、身の回りには日本の文化があふれていました。
ところが小山さんが12歳の頃、インターネットが世の中に出始め、ご自身の家にもインターネットの環境ができたことで、ウェブサイトづくりにのめり込みます。
やがてデジタルデザインに興味を抱き、美術系大学でビジュアルコミュニケーションを専攻。卒業後上京し、様々な日系企業でウェブ制作に関わります。そこではまだITデザインの重要性が認識されておらず、東京はテクノロジーで進んでいるわけではなかったと思い知らされたのです。

そんなこともあり、デジタルとデザインが融合する仕事を求めて外資系デザイン会社に転職。アプリ開発を経験し、「テクノロジーの最前線で働きたい」と思いが膨らみました。後に夫となるパートナーを説得して二人で米シリコンバレーに移住。現地で誘いを受けてツイッター本社で働くことになったのです。「何でツイッター本社が私を?と思いましたが、ユーザー数がアメリカの次に多いのが日本。しかし、日本の市場はどこの国とも違って理解しづらく、アプローチしにくいと言われていました。そこで日本マーケットの知識があり、デジタルデザインを専門にして、英語ができる人材が求められたんです」。こうして小山さんは、最先端の環境でITビジネスのスキルを磨いていきました。

起業を意識し始めたのは2017年。夫が京都の実家に戻るため帰国が数年後に近づいた頃でした。母が日本各地の職人さんを訪ねる旅に同行し、そこで後継者を雇えずに技術が途絶えてしまうという現状を知り、伝統工芸の継承のために自分のスキルやバックグラウンドが役に立てないか、と真剣に考えるようになったのです。一方シリコンバレーでは、「お寿司は流行っているし、日本に詳しい人も多い。みんな日本が大好きなんですよ。特にIT系で働く人々はデジタルの世界にいるからこそ、手で触れられる本物を求め、伝統工芸にまで興味を持ってくれる。私のルーツが京都であることを知ると、お勧めの観光スポットを聞かれることもありました。」

問題解決のため、職人さんにお金を回す役目になる
そこで、両者をつなぐビジネスができないかと考えた小山さん。シリコンバレーは、アプリ開発に億単位が投資される世界。「一部でも日本の職人さんに回せたら何人後継ぎを雇えるだろうかと考えて、とにかくお金の流れをつなぐ手段をつくろうと思いました」。ツイッター社でブランド戦略や海外戦略、ビジネスデザインを手がけてきたスキルを、今度は起業や伝統産業を守るために活かすことになります。

起業の手段として自社ブランドの立ち上げを選んだのは、職人さんの問題解決のため。「問題はお金。コンサルティングの方法もありますが、私は職人さんからお金を取る側には行きたくない。職人さんと組んで商品開発し、全てを買い取って販売して、お金を回す役目にならないと問題を根本から解決することにはならないので」。オリジナル商品のネット販売を見込んで、まずは集客の土台づくりを始めます。工芸とデザインが重なるテーマに特化したブログとSNSを利用して配信し、フォロワーを増やしていきました。

2020年に家族で京都に移住。折しもニューヨークから来て町家の宿を経営する塚本はなさんと出会います。「空間デザインの世界観が似ている」と互いに感じて、ライフスタイルブランドの会社を共同設立。それから1階が使える広い物件を探していると、京町家を退居する友人から声がかかり、事務所兼倉庫を構えることに。こうして京町家のオフィスが誕生しました。オフィスとしての京町家は、「伝統工芸を扱っている点で、ジェネリックなビルより、中庭のある町家が温もりもあっていいと思いました。建築的な面からも作りが素晴らしい上に、雰囲気があるので商品写真の撮影にも向いていたのです。ただデメリットもあります。特に、冬がかなり寒く、ガスヒーターを使っています。温まるまでには半日かかります。そして間取りも気になるポイントです。部屋の中に段差があったりすると、効率的に使うのが難しい時と感じますね。」

将来の展望とこれから京都で起業を目指す方へ
小山さんに京都でこれから起業を考えている方々へのメッセージを伺いました。
「伝統工芸に携わっていることもあり、商工会議所や銀行さん、京都市にもとても良くしていただいているのが事実です。京都には、東京と違って大企業があまりないため、起業している人がとても多いと感じます。そのせいか、とてもインスピレーショナルなコミュニティーがあって楽しいです。近くには自然もあり、子育てにも向いている街だと思っています。起業家には、結婚や育児のライフイベントがある30代が多く、そんな方々にも京都はお勧めです。東京のように競争が激しい場所より、ほのぼのと暮らせる京都の方が個人的に子育てには向いていると思っています。ここではゆったりとした時間の流れで淡々と子どもを育てられるような気がするんです」。3歳と6歳の二児の母でもある小山さんは、「今が人生で一番忙しい」と言います。「家事の分担は夫と半々ですが、自分の時間は一切ないです。会社が自分の時間かな」。多忙を極めながらも京都で働き、子育てする姿は、なんだか輝いて見えました。将来の展望について、京都を起点に「再来年はロサンゼルス、その次にニューヨーク、ロンドン、パリに店舗を開く。そこで十分売り上げを立てて、次に自社工房を作ります。いろんな技術の後継者を育て、皆が楽しく仕事できる職場を作りたい」。そんな10年先を見据えて、「私は戦略を立てるのが好き」という一言が頼もしく響いてきました。

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